きゃたぴーの揚げ物

きゃたぴーが日々思ったりしたこと

ネタバレについて

なるほどと思ったことと、懺悔の話。




どうしてもネタバレ有り感想が書けなかった。これを読むのはごくわずかな限られた人だけで、かつネタバレ注意と書いている。だからここでネタバレ有りで感想を書いても困る人なんて生まれない。


それでも、嫌だった。


たまたま見てしまう人がいるかもしれない。いや、むしろ。見ても構わないと思ってネタバレを踏まれることこそが恐怖だった。自分の下らない自己満足で他人様の体験を殺してしまうのではと。昔好きな動画投稿者が言っていた言葉が耳に残っている。俺なんかの動画で初見を喪失するな。

初見は一度しかない。絶対的に価値あるものだと。




そしてこの間なんとなく見て回っていたときに、こんな話を見つけた。


https://twitter.com/raurublock/status/671172735498776576?s=09

正しいか正しくないかはともかくとして、なるほど、と。思うだけの力はあった。

記憶がどうとか心の動きだとかは本当に門外漢だけれど。

単純に二極化できるものでもないとは思うが、確かに自分はエピソード記憶、  その時自分がどういう感情を持ったか、を最も重要視する。

めちゃくちゃ好きなシーンでもその登場人物の名前を覚えていないこともざらにある。どういう経緯でそうなったかが重要と感じていなければストーリーすら覚えてはいない。

そこにあるのはただ自分の感情と、体験だけ。

なんて自分本位の考え方なんだろう、と思わなくもないが、そういうの、とても自分らしいと思うので納得している。


「そのキャラ、イベントで死ぬから育てない方がいいよ」とアドバイスするクソ野郎人は、本心から時間を無駄にしないようにアドバイスしているのだ。ほんとうの本当に本心から。彼らにとって体験は重要ではないのだ。わかっていたつもりだったけれど、少し違った。

正直な話彼らは絶対に損をしていると思っていた。唯一無二の体験を自ら喪失する彼らは、なにが楽しくて物語に触れるのか、考えもしなかった。薄い体験で薄く生きてる新人類だと思っていた。でもそれは少し違くて、彼らはもっと違うところに楽しみを見出だしていただけかもしれなかった。

だから、これは懺悔。

彼らから与えられたネタバレという善意の押し付けを憎みながら、自分は体験を守るとかいって価値観を押し付けていた。いや別にネタバレしたやつは許さないけどね。それとは別の話。受けるダメージが違いすぎるからここまでたどり着けないんだろうな。

体験を重視する私たちは受けた傷を憎しみと共に墓まで持っていく。

20世紀少年を見ている息子の前でトモダチの正体に言及した母親を未だに許せる気がしていない。なんならその場で視聴をやめているので結末を知らない。ストーリーもあやふやだ。ただネタバレされたという体験だけが、自分に残っている。

やっぱ謝らなくて良い気がしてきた。



まぁともかくとして、自分の中で他人がネタバレを許容することを許容しても良いかな、という気にはなった話でした。