きゃたぴーの揚げ物

きゃたぴーが日々思ったりしたこと

スマガ 雑感2

二週目入るところから


相も変わらずネタバレ注意




二週目に関しては個別じゃなくまとめて考えていくこととする。




案の定すべてを忘れていたので、二週目に入って最初のうんこマンの台詞が流れたとき、思わずああ! と声をあげてしまった。この構造はほんと天才。

ここからプレイヤーはカチカチうんこマンとして、繰り返される悲劇からの脱却を目指してやわらかうんこマンの話を視聴することになる。

一週目でガーネットに言われた私たちを、幸せにしてあげての言葉を胸に、伊都夏のシステムそのものに挑むわけだけれど、その真のハッピーエンドを目指すことと、彼女たちと恋愛しその話のハッピーエンドを迎えることは全く別のこととなってしまう。

名前無し記憶無し顔無しの、共感しやすいエロゲ主人公だったうんこマンは、すでに自分の分身ですらなくなった。魔女や雨火、沖と恋愛することはもうできない。雨火ルートでも語られた同じ視点を持たないもの同士が、恋愛することはできないというテーマは、そのままスマガ全体にもかかってくる。

もしかして、誰かと恋ができるとか思ってる?という台詞もそうだけれど、最後の最後にはプレイヤーを完全に置いてけぼりにして先輩として川嶋有里とゴールインする流れといい、恋愛アドベンチャーという構造そのものへの挑戦を感じた。この辺りが下倉バイオ氏の表現したいことなのかもしれない。次回作もそういう話らしいし。そのうちやるかな。


キャラクター的には沖が一番好きだったりはするのだけれど、一番好きなルートは雨火になるのかな、と。

テーマ的にも、感情の動き的にも。雨火ってキャラはぜんぜん好きなタイプじゃないのだけれど。その言葉は何回目の私を経たものですか? の問いかけに思うところがあった人も多いはず。日頃、セーブ&ロードを繰り返している身としてはね。

記憶を失っても、もう一度好きになれることが嬉しいと、そう言える強さも、とてもよかった。



スピカ20歳超え問題とかアリデッドはどこまでの視点を持っているのかとかそもそものループの起点とか気になるところは多いけれど、強い意思を感じさせる良いゲームだった。

スマガ 雑感

ネタバレ注意というか知ってる人が読むことを前提とするというか、配慮する余裕とか諸々全くないので、あしからず。



スマガ。



プレイ自体は二回目ではあるものの、以前プレイしたのはずいぶん昔で、細かい展開はほぼほぼ覚えていなかったので、割と新鮮に楽しむことができた。まぁ10年くらいたってるから当たり前か

当時とは多分感じ方も何もかも違っていると思うのだけれど、残念ながら当時の自分のことなんて覚えていないので、やっぱりこういう形で残すことはまず自分のためになるな、と再確認した。


マガスペシャルは未プレイ。


ということでまずはルート毎に一言。


共通スピカルート。
タイトルは  She May Go。各ルートタイトル、オシャレで良き。正直共通の3ルートは合わせて一本みたいな気もするけどね。このルート、必ず最初にプレイすることになるルートだけあって、掴みは抜群。最初にスピカのスチルが表示されたとき、あー、伊都夏に帰ってきたのだと、感慨深かった。

スピカ。こういう、強いんだけれども、ちゃんと弱いところもあるキャラクターはとても好きなので、しっかりこの物語を読むモチベーションになってくれた。後半の他のルートで影薄すぎじゃない?

生き返る以外に特別な力を持つ訳じゃないうんこマンの、それでも彼女の涙を拭うことはできると、寄り添うことでスピカを救おうとするのはストレートにいい話。

何事も最初の体験ってのは特別なもので、プレイヤーにとってこのルートが最初なのは当然として、うんこマンにとっても、先入観も余計な介入もないのはこの話だけ。だからこそ綺麗で儚い、印象に残るルートだった。


正直なところめちゃくちゃうろ覚えだったので、素直に楽しんだ。




共通ガーネットルート。
タイトルは  Sad mad Good-bye。驚くべきことにほぼ全て覚えていなかったルート。色々ショックで読み飛ばしてたのかな? そう考えると今と昔で一番評価が変わったルートかもしれない。

スピカとの記憶を引き継ぎながらのこのルート。しょーじきうんこマンの行動はダメダメで、もどかしさを感じる。だけれども、取り返しのつかないところまで行ってしまったうえで、それでも今の、この未来のためにと、再び立ち上がる。そして必死にガーネットに償ううちに、ガーネットに惹かれていく。

好きになる過程と、幻想のスピカに赦しを求めるところが、なんかめちゃくちゃ人間らしくて、好きだった。

ところで、ガーネットは川嶋有里に少し似ている。ガーネットを見て校門に立つ川嶋有里を幻視するシーンからしてもそれは意識されたもの。だとすると、ヒロインの中でうんこマンが直接的に容姿を可愛いと表現したのがガーネットだけなのは、ちょっと考えさせられた。


そして、このルートではアルマゲストや伊都夏にまつわる謎に大きく踏み込む。アリデッドの目的に関してもうっすらと見えてくる。

願うことと信じることは違う。それは至極当然で、プレイヤーである俺らが知らない積み重ねが、そこにはある。ガーネットの、これは、勝てない戦いだ、負け戦だと聞かされて育ったという台詞。

このセカイは、悲劇を必要としている

ひたすら周到に用意された悲劇の種。その執念のようなものを感じて、ゾッとしてしまった。

最後にアリデッドの言っていた、魔女じゃないあいつらが想像できるのか? 一人でセカイを支えられるのか? という問。終わった先のことを考えての発言かはわからない。だがこのコトバ通りにガーネットのセカイには二人はおらず、ガーネットは一人でセカイを支えることはできなかった。

崩壊し、二人きりになったセカイでガーネットから告げられる言葉。

「もう一度、生き返って――」
「私たちを、幸せにしてあげて」

これでテンション上がんなくて何? って話。良い終幕だった。



共通ミラルート。ミラルートかは疑問だけれど。 
タイトルは  Shoot the Miracle Goal。終わりかたは本当にミラクルゴール。無茶苦茶な展開ながらも、人生リベンジ、完了だろ?の文字と共に流れるエンディングテーマで、胸が熱くなった。

それとアリデッド。このセカイを守るためなら何だってやる、とまで言っていたアリデッドが、ラストで悪魔と戦うために飛び、この話だけはと叫ぶところは心打たれた。

さて、ルート単体での感想はなかなか難しい。終わりよければ、といってもやっぱり前半はあまり面白いものではない。ガーネットの想いを受けて本当のハッピーエンド目指しリトライしたのに、前二ルートは何だったんだという話で、言い方を選ばなければひどい茶番。一言で堕ち、いがみ合う二人の姿に、今までしてきたことを貶められているような気すらしてしまう。

スピカが信じたからガーネットは友人のために身を引いたのか? ガーネットが信じたからスピカは友人のために怒りを露にしたのか?

そんな考えすら浮かんでしまった。


前世二回の記憶によって二人の好感度を手にいれて、代わりにあったのはミラを選ばない限り破滅するセカイ。

プレイヤーという視点からすればスピカガーネットときて次はミラか、というような薄い納得でも動けるが、うんこマンからしたら到底納得できないだろう。ガーネットルートもそうだが、うんこマンの気持ちはお構い無しに一本道でシナリオは進んでいく。登場人物の一人であるやわらかうんこマンでは物語を変えることはできないのだろうか。



続きは次回

ギャルゲと乙女ゲー

きっかけは大分前、にじさんじ乙女ゲーム製作委員会を見たときだった。

乙女ゲームに関しては結構初心者だったことに、今更ながら気がついてちょっとびっくりしてしまった。アニメ化された作品を結構見ていたので、なんとなく界隈ごと知っているつもりになっていた。良くない


少女漫画読んでてもアニメ見てても乙女ゲームのことはわからないのだ。ギャルゲもそうじゃんね。

いやそもそも恋愛シミュレーション自体大してやってない。ノベルゲームは趣味としていても、シナリオ重視のゲームばかり。

こんなんじゃ乙女ゲームの乙の字も理解しているとは言えない。


で、乙女ゲーム製作委員会。ここでシナリオについて考えてるとき、ハッピーエンドに届かなかったエンドのことをトゥルーエンドと呼ぶことがあった。

まぁ多分言い違いとかなんだけども、誰も訂正しないので少し気になっていた。

そいでふと気づいた。そもそも普段やっているノベルゲームに個別ルート内にエンディング分岐なんてないな、と。

それこそおニュイが言っていた、付き合えないことこそがバッドエンド(おそらくときメモGSの経験から出たものだろう)というのが基本というか、ルートに入り損ねてノーマルルートに行ったりよくないことが起こってゲームオーバー的な終わり方をするゲームしかやってきていない。

トゥルーエンド自体、どいらかというとトゥルールート、グランドルートといつ感覚。もちろん全部が全部って訳じゃないけれども、個別ルートに複数エンディングがあるギャルゲは少ないのではないだろうか。



良い記事があった。

エロゲーのシナリオ構造/ルート分岐について

大変わかりやすくまとまっていて、記事単体でも楽しめるのだが、ここで注目したいのは、個別ルート内でのエンディング分岐についての記述が全くないことだ。

さすがに抜けていたとかそういうことはないはずで、つまり母数が無視できるほどに少ないか、そもそもそこが分岐しているかどうかが全く重要だと感じていないのではないだろうか。男性向けノベルゲームの世界では個別ルート内での分岐の有無は気にされないのだ。

だが某乙女ゲーム製作委員会の放送で、何の迷いもなく個別ルート内での分岐の話をしているように、乙女ゲームの世界では分岐があることはもはや常識となっているようだ。



この違いについて書いている良い記事があったので、次回はそれを紹介しつつ、感じたこと等書こうと思う。

ネタバレについて

なるほどと思ったことと、懺悔の話。




どうしてもネタバレ有り感想が書けなかった。これを読むのはごくわずかな限られた人だけで、かつネタバレ注意と書いている。だからここでネタバレ有りで感想を書いても困る人なんて生まれない。


それでも、嫌だった。


たまたま見てしまう人がいるかもしれない。いや、むしろ。見ても構わないと思ってネタバレを踏まれることこそが恐怖だった。自分の下らない自己満足で他人様の体験を殺してしまうのではと。昔好きな動画投稿者が言っていた言葉が耳に残っている。俺なんかの動画で初見を喪失するな。

初見は一度しかない。絶対的に価値あるものだと。




そしてこの間なんとなく見て回っていたときに、こんな話を見つけた。


https://twitter.com/raurublock/status/671172735498776576?s=09

正しいか正しくないかはともかくとして、なるほど、と。思うだけの力はあった。

記憶がどうとか心の動きだとかは本当に門外漢だけれど。

単純に二極化できるものでもないとは思うが、確かに自分はエピソード記憶、  その時自分がどういう感情を持ったか、を最も重要視する。

めちゃくちゃ好きなシーンでもその登場人物の名前を覚えていないこともざらにある。どういう経緯でそうなったかが重要と感じていなければストーリーすら覚えてはいない。

そこにあるのはただ自分の感情と、体験だけ。

なんて自分本位の考え方なんだろう、と思わなくもないが、そういうの、とても自分らしいと思うので納得している。


「そのキャラ、イベントで死ぬから育てない方がいいよ」とアドバイスするクソ野郎人は、本心から時間を無駄にしないようにアドバイスしているのだ。ほんとうの本当に本心から。彼らにとって体験は重要ではないのだ。わかっていたつもりだったけれど、少し違った。

正直な話彼らは絶対に損をしていると思っていた。唯一無二の体験を自ら喪失する彼らは、なにが楽しくて物語に触れるのか、考えもしなかった。薄い体験で薄く生きてる新人類だと思っていた。でもそれは少し違くて、彼らはもっと違うところに楽しみを見出だしていただけかもしれなかった。

だから、これは懺悔。

彼らから与えられたネタバレという善意の押し付けを憎みながら、自分は体験を守るとかいって価値観を押し付けていた。いや別にネタバレしたやつは許さないけどね。それとは別の話。受けるダメージが違いすぎるからここまでたどり着けないんだろうな。

体験を重視する私たちは受けた傷を憎しみと共に墓まで持っていく。

20世紀少年を見ている息子の前でトモダチの正体に言及した母親を未だに許せる気がしていない。なんならその場で視聴をやめているので結末を知らない。ストーリーもあやふやだ。ただネタバレされたという体験だけが、自分に残っている。

やっぱ謝らなくて良い気がしてきた。



まぁともかくとして、自分の中で他人がネタバレを許容することを許容しても良いかな、という気にはなった話でした。

佐藤正午、月の満ち欠け

読みました。




157回直木賞受賞作。職場の読書好きのおじさんがおすすめしてたので手に取った。岩波文庫というと古典の印象だったが、と思ってたら岩波文庫的文庫らしい。まぁなにが言いたいかっていうとハチャメチャ読みやすかった。現代文。

結構久しぶりの文庫本だったがちゃんと集中して読めたので良かった。展開が動いてからはラストまで一気に読んでしまった。純粋に面白いし、その中でもゾッとするような、しばらくは心に残って離れない、良い作品だった。おれのクソみたいな感想文より本文読んでほしい。千円しないし。








  以下、ネタバレ注意

ネタバレ注意とかわざわざ書くほど突き詰めた話もできないし、深い考察ができるわけでもないけど、フラットな状態がもっとも良いのは間違いないので、そう記す。





あたしは、月のように死んで、生まれ変わるーー






人は、何をもってその人たるのか、というのはよくテーマに上げられるものだ。この作品では、未練を残した女が、前世の記憶がある子供として、タイトル、月の満ち欠けのように甦る。

胎内から語り書け、みずからと同じ名前となるように働きかける。そして七歳の折に高熱とともに前世の記憶を思い出す。

七歳まで普通の子供として育ったその子は、上書きされ融合する自己に何を思うか。同じ記憶を有する存在は同じ人と呼べるのか。連続しない意識のなか、それでも残した未練を晴らすため、消せない衝動で動き続けるのだ。

人間が人間らしく行動する情感を書くのがとてもうまい作品で、どうしようもなく人として行動する登場人物たちに、共感してしまう。現実的でない甦りを、それでも現実的に描写する、その人の行動に厚みを持たせ共感させることを文庫本の容量に収めてまとめている。登場人物がそれぞれ持つ役割など、芸術的な章運びだった。

読後に改めて一から読みたいと思わせる本はやはりよいものだ。


読みます。

芹沢あさひ、しんどい

にわかPなので本当はシャニマスの話は書くつもりはなかった。

芹沢あさひを知るまでは。

サービス開始から2ヶ月くらいプレイをし、その後は完全に離れていた。

シャニマスから離れていた時期にTwitterで見かけた芹沢あさひは、いきなり常識では推し量れないようなことをしだして周囲を困らせるトラブルメーカーのような子で、それ以上を示すものには出会わず、記憶に残るようなものではなかった。

その後黛冬優子をどうかプレイしてくれと懇願されたりはしたが、どうにもモチベーションが出ず、去年はシャニマスに触れなかった。

しかし、今年になり、顔が良い女や口が悪い女をTwitterで見かけるようになり、また新ユニット来たのかぁ、となんとなく眺めているなか、某ライバーのシャニマス配信が目に止まり、へぇー見てみるか、と再び沼に足を向けたのだ。

そして芹沢あさひという存在に触れることとなった。

にわかすぎてRでW.I.N.G.敗北からW.I.N.G.優勝、ストレイライトラン、空と青とアイツtrue、あとサポートいくつかしか芹沢あさひに触れてない不勉強だが、そのなかで感じ取った芹沢あさひを書いていく。追記:書いてる途中でジャンプスタッグやりました。



 ということで、この記事には芹沢あさひのコミュとかのネタバレが含まれます。あと多分文字だけで進行してくから読みにくいかもだけどご勘弁下さい。





芹沢あさひ。

14歳。AB型。趣味は人間観察、人に話しかけること。特技の欄には、記憶力がいい、と書かれている。


常に面白いことを探し、じっとしていることがない、探究心の強い女の子。興味を持ったら一直線だが、飽きっぽい一面も持つ中学2年生。


公式の説明文読んでびっくりしてるんだけど、これって最初からこの説明文だったんだろうか。

空と青とアイツじゃん。まんまそれじゃん。

芹沢あさひは、常識では計れない、突拍子もないことをする、天才として描かれながらも、決してそう扱われることはない。

ただの興味を持ったら一直線だが、飽きっぽい一面も持つ中学2年生なのだ。

もうしんどいわ




  W.I.N.G.敗退について 

そもそも最初に芹沢あさひを見たのが、某委員長の配信での、芹沢あさひW.I.N.G.敗退だった。

W.I.N.G.敗退後、悔しいな、と漏らしたプロデューサーに、生まれてはじめて悔しい、と叫んだ芹沢あさひを見て、確かに、心が打ち震えた。正直、そこまで悔しさを感じる子だと思っていなかった。何が足りないか考えることはあっても、それを悔やむことはないだろうと。恥ずかしながら、流し見していた自分はまだ芹沢あさひのことを量産型の天才サイコパスキャラのような色眼鏡でしか見れてはいなかったのだ。

自分を積み上げ、自信を持ち、期待を受け、全力を尽くす。それでも届かない、もうどうしようもないとわかっていても、自分はもっとできたはずだ、もっといい結果になったはずだ、と。

そのまっすぐな感情に飲まれて、しばらく何も考えられなくなってしまった。打ちのめされた。

プロデュースを決意した、という表現はあまり好きではないのだけれど、この時、芹沢あさひは自分の中で気軽に忘れて流せる存在ではなくなっていた。

芹沢あさひはいつだってまっすぐだ。ルインズスターみたいな女の子だ。まっすぐすぎて、ついていくことが出来ないほどに。

そして芹沢あさひは空気の読める子である。それは色んなコミュでなんとなく読み取れる。ただ少し絶望的なまでに他人の感情がわからない。わからない? 共感しない? なんにせよ、それを自身の行動の判断に加えない。だから空気の読めない行動をしたように見える。その行動原理を理解することができない。

人はわからないものを恐怖する。結果として待っているのは孤立だ。14歳の普通の女の子は、孤高の人たり得ない。

そこに現れたプロデューサーと二人の仲間の存在は本当に奇跡のようで、だからこその悔しさだったのだろう。

芹沢あさひは、W.I.N.G.優勝後にプロデューサーに声をかけられるまでひとりぼっちだったと語る。自分がひとりぼっちなのは誰よりも理解している、他人の行動を読むことができるのに感情はわからない、そして自分の興味を何よりも優先して走ってきた女の子は、何を思って趣味の欄に人間観察と人に話しかけることと書いたのだろうか。

芹沢あさひが笑顔でアイドル活動を続けられることを願うばかりだ。




これだけを書くのに死ぬほどカロリーを使ってしまった。感じたことを伝えるのは難しいね。言葉もなにもかも足りないけど、読んでくれたのならありがとう。

空と青とアイツについてとか、イベコミュの話とかまた気持ちが落ち着いたら書こうと思う。

決意表明

改めまして、きゃたぴーです。

きゃたぴーはここのところ、自分の人生を前向きにしようキャンペーンに取り組んできていたんですが、コロナとかあっていろいろ悲しい気持ちになっていました。

まぁそんな一環で、過去に何も積み重ねることが出来てない自分を後悔しつつ何も行動できないマジのクソになってたわけですが、そうやってクソな自分に浸っててもしょうがないので、こうやって色々書いていこうと思ったわけです。

昔の俺は何も積み上げていないと思っていたけれど、少し自分を掘り下げていったら、一つ思い当たってたことがあります。

それは、少なくとも今の俺よりは様々な物語に触れていた、ということです。

昔から文字を読むことは好きだったんですが、今の俺は忙しいだのなんだの言い訳して深く物語に触れることがなくなっていたように思います。

そんなんじゃ感受性だって枯れちゃいます。

文字ばかり読んで物語を読まなくなったらもうおしまいですから。

だから俺頑張ります。

いっぱい物語に触れて、ここに感想を書きます。

だからこれは決意表明です。

昔は見栄ばかり気にしてすぐ追い付かなくなっちゃいましたが、今の俺は開き直れています。

前の記事のクソみたいな文章をもう公開した以上、もう失うものはありません。

無敵です。

小中学生の読書感想文レベルの感想しか書けなくても、それを続けていきたいと思います。


お付き合いいただき、ありがとうございます。